時代錯誤の存在

 人間が時代と共に進歩しているのか、幸せになっているのか、それは分からない。
 直接の人類の祖先ではないが、ネアンデルタール人の埋葬遺跡からは遺体に花を捧げた痕跡が見つかっている。死者に対する素直な感情を既に花を捧げることで表現していたのである。

 話しはそれるが、最近、古い戸籍が放置されている問題と共に老人のミイラ化した死体や白骨化した死体が発見される事件が続いている。以前、テレビで100歳以上の人口の半数は既に死んでいるんですよ、と言っていたが、それが真実ではないかと思われるような勢いで各地方自治体から異常な報告が相次いだ。戸籍問題の一部は、敗戦後の混乱に起因するものもあるようであるが、問題なのは、親の年金を継続してもらうためにその子供が死亡の事実を隠蔽していたものである。本当にネアンデルタール人よりも現代の人間の方が、そして社会が進歩したのか、疑問に思う。親の死亡を隠して年金をもらい続けないと生活できない社会に問題は無いのか。当事者の人間性も問題かもしれないが、現在の日本社会にも問題があると思う。 

 話を元に戻すが、21世紀のこの時代に国家指導者の立場を自分の子供に世襲させようとする北朝鮮と言う驚くべき前時代的な国家が厳然と存在する事実がある。そして、その北朝鮮を公然と支持する中国。金政権は日本で言えば、江戸時代の徳川家か。江戸時代はまだ庶民の自由はたっぷりと残されていたので、現在の北朝鮮の生活は日本の江戸時代以下であろう。
 まあ、北朝鮮も中国も出鱈目であれば、未だに武器を輸出して、世界中で殺し合いをさせて金を儲けている中国にアメリカ、ロシアも出鱈目である。ヨーロッパ諸国も同じか? そうすると程度の差こそあれ、21世紀はまだ偽善の世界か。力を持ったものが勝ちの世界か。一昔前は東西冷戦でバランスオブパワーが叫ばれ、米ソで核の数を競った。21世紀は民族対決とキリスト教対イスラム教の対決の時代か。どちらにしても力を持って、多くの味方を従えた方が勝ちの世界のようである。北朝鮮は出鱈目な国であるが、大国中国を味方にしたので生き残っている。逆に言えば、いくら理想的なことを言っても国に力が無く、味方が付かなければ認められない世界か。 

 鹿児島県阿久根市で竹原信一市長が、議会に出席しなかったり、議会を招集せずに市長の専決処分を連発する異常事態が続いている。現在の日本でこのようなことが起こるとは思ってもいなかったが、正々堂々とこのような市長がいつまでも存在していること自体が信じられない。また、その存在を許している阿久根市民の常識を疑ってしまう。竹原信一が出鱈目なら、阿久根市民も恥ずかしい存在だと思う。

 阿久根市では、市の発注した公共工事の入札で、以前竹原自信が社長を務めていた土木工事会社・三笠興産が最低価格の1円差で落札したりしている。この入札は、市総合運動公園ののり面修復などの施設整備工事で、最低制限価格は446万476円だったものを三笠興産が446万477円で落札している。最低制限価格は、市長以外には知り得ない機密事項で、その機密事項と1円しか違わない価格で市長の親族会社が落札した事実。 どう考えても市長が不正をしているとしか、考えられないだろう。これに対しても竹原はだんまりを決め込んでいるらしい。本当に腐った竹原と阿久根市民だと思う。この日本に正義は無いのだろう。

 自分自身、他人や世間との関わりは下手な方だし、どちらかと言うと引きこもりの傾向にある。
 歳を取ってから人間に必要なのは、社会との関わりであり、人間の幸せも他人との関係性の中にあると思えるようになって来た。しかし、全うに生きていくのは難しい。短気な自分などは世界の矛盾に苛立って、もうどうでも良いと投げやりな気持ちになるが、正当な主張を粘り強く継続する人は偉いと思う。これは、年齢は関係ない。いくら歳を取っても私のように馬鹿な人間もいれば、若くして堂々とした人間もいる。持って生まれた器なのか、それとも志か。

(2010年9月5日 記) 

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